数でめぐる京都1・2・3の巻+4
こんにちは♪ かいらし堂の元祖リンです。
数でめぐる京都のお散歩話、1〜3の巻+4
今日はボクも大好きな二年坂・三年坂とその周辺のお話です。
京都観光の中でも王道と言えば、八坂神社〜ねねの道〜清水寺までの参道エリアですね。
そんな定番の清水寺参道周辺にはご存知の通りいくつかの坂があります。
清水坂・五条坂・茶わん坂・一念坂・二年坂・三年坂・龍馬坂・・。
その中の三年坂というのは産寧坂とも呼ばれています。
名前の由来は、豊臣秀吉の正室「ねね」さんが、安産祈願のために清水の子安観音へ参っていたということから産寧坂と呼ばれるようになったそうな。
他にもいくつかの説があるらしいです。
一つは、同和3年(808年)に整備されたから三年坂という説。
もう一つは、清水へお参りした人がお礼参りで再念するからという説。
さらに、昔、この坂は風葬地(死んだ人を埋葬する場所)への通り道だったことから途中の石段で転ぶと3年以内に死ぬという俗説があった。
この坂で転んだお坊さんが、ひょうたん屋の主人に助けられ、老齢なのでいつ死んでも不思議でないと思っていたのが、3年も生きられると聞き喜んだという話から、瓢箪が魔除けになったとか。
そんな曰く付きの三年坂(産寧坂)の下に続くのが二年坂、案内板には「二寧坂」とあります。
こちらは同和2年(807年)にできたからという説、三年坂の下にあるからという説があるそうです。
そしてそのさらに下に続くのが一念坂。
ほとんど平坦な石畳の路地ですが、こちらも二年坂の下にあるから一念坂という説が有力みたいです。
日本画の巨匠「竹内栖鳳」の邸宅(今はレストラン「THE SODOH」)へ続きます。
最後におまけ。
一念・二年・三年坂の続きで四の坂の話です。
二年坂に住む人のおじいさんが危篤になったのですが、しばらくして息を吹き返した時に「気がついたら坂の上の石段に立っていた」と言ったそうです。
その坂は龍馬坂のことでした。
以来その家では龍馬坂の事を、死ねない坂つまり「しねん坂」と呼んでいるそう。
これ4の巻の話にしても良いですよね。
長〜い坂の遠く奥の方に見える石段が龍馬坂の石段です。
二年坂にあるスタバは一見スタバとは気が付かない作りですね。
京都って都の歴史が古いだけあって奥が深いですね。
最近はコロナ COVID-19 の影響か、お気に入りのお店が無くなっていたりしてちょっと寂しいのですが。